共感力とは、生まれつきの性格ではなく、環境や体験を通して育てられるスキルです。特に、現代のように多様な価値観が混在する社会において、共感力は「正しさ」よりも「違いに寄り添う力」としてますます重要性を増しています。
しかし、共感を「感情的な優しさ」と誤解する声も少なくありません。本当の共感とは、相手の立場や視点に想像力を働かせ、自分の枠組みを一度は外してみる勇気でもあるのです。
ディクシットというカードゲームは、まさにその“想像する力”をゲームという形でトレーニングできる道具。
曖昧で抽象的なイラストに、言葉を与え、また他者の意図を汲み取ろうとする過程そのものが、共感力を刺激します。
想像と表現が共感力を育む
ディクシットの魅力は「余白」にある
ディクシットは、不思議で夢のような絵柄が描かれたカードを使い、プレイヤーがそれぞれ言葉やフレーズを添えて遊ぶゲームです。
正解のないこのゲームでは、「どれだけ他の人と感覚を共有できるか」が鍵。想像した内容を言語化し、他人がどんな意味でその言葉を選んだかを推測する――まさにこれは、共感という“認知と想像の技術”のトレーニングです。
また、ディクシットには「言葉の余白」も存在します。
あえて具体的に言い切らないこと、曖昧さを残すことで、相手に想像の余地を委ねる。このやりとりの中にこそ、共感の種がまかれているのです。
他者の“内なる風景”を見つける力
共感とは、相手の感情を正しく当てることではありません。
むしろ「この人は今、どんな風景を見ているのだろう?」と、自分とは違う世界をのぞこうとする想像力こそが、真の共感力です。
ディクシットでは、他のプレイヤーの選んだカードや発言からその“風景”を推測することが求められます。
このプロセスが、現実世界での「他者理解」にそのままつながっていくのです。
共感力は日常の中で磨ける
職場のズレや衝突は“共感不足”から始まる
例えば職場での些細な言い争いや、相手の態度に違和感を抱いた瞬間。
それらの多くは、「自分とは違う視点がある」という前提を忘れたところから始まります。
上司と部下、営業と開発、経験者と新人――立場が異なれば当然、見えているものも違います。
しかし私たちはつい、自分の物差しで他者を測り、正しさを主張してしまうのです。
ディクシット的な感覚を応用するなら、まず「この人には、どう見えているんだろう?」という問いを立てること。
相手の“言葉にならない不安”や“説明できない違和感”に想像を巡らせることが、対立を回避し、対話をつなげる鍵になります。
家庭やプライベートでも役立つ“共感のフレーズ”
共感は特別な能力ではなく、「ちょっとした言葉の選び方」にも現れます。
例えば、相手が不機嫌な様子を見せたとき、つい「どうしたの?」と聞いてしまいがちですが、この問いは時にプレッシャーとなります。
代わりに「もしかして、何か疲れてる?」というように、推測を含む形で寄り添う表現を使うだけで、相手は「わかってもらえた」と感じやすくなります。
この“想像ベースのやり取り”は、ディクシットのカードに意味を与える作業に似ています。
相手の感情に直接触れようとするのではなく、間接的に“イメージの橋”をかけることで、共感はより自然に生まれるのです。
共感力のゲーム的トレーニング法
ディクシット以外にもある“共感型ゲーム”
ディクシットのように感情や想像を共有するゲームは他にもあります。
例えば『ミステリウム』は、プレイヤーが幽霊と霊能者に分かれ、絵だけで事件の真相を推理する協力型ゲーム。
こちらも“言葉にならないもの”を受け取る力が試され、まさに共感力の実戦練習です。
また『テレストレーション』のような“連想のズレ”を楽しむゲームも、自分の想像が他者にどう伝わるかを知る絶好の機会です。
共感は、正確に伝えることではなく、「伝わり方のズレを面白がる」余裕の中で育ちます。
毎日の中に“共感の練習”を組み込む
ゲームをする時間がなくても、日々の生活の中に「共感トレーニング」は取り入れられます。
たとえばSNSでの発言を見て、「この人はなぜこの言葉を選んだんだろう?」と一歩深く考えてみる。
家族や同僚が無口な時に、「話すべきではなく、見守るべきタイミングかもしれない」と気づいてみる。
こうした“小さな読み取り”の積み重ねが、共感力を自然に育ててくれるのです。
結び|共感は“他者と遊ぶ力”
共感力は、知識や論理ではなく、“他者と心を通わせるための想像力”です。
それは時に、思考を止めて感じることでもあり、意見を戦わせるよりも、心の中の風景を見せ合うことに近い行為です。
ボードゲーム、とくにディクシットのような共感型ゲームは、そうした“言葉にならない心の遊び”を可視化し、誰にでも手の届く形で提供してくれます。
もしあなたが、誰かとの距離に迷ったときは、まず“想像してみる”ことから始めてください。
その一歩が、共感という大きな橋になるかもしれません。