私たちが使う「言葉」は、本当に相手に伝わっているのだろうか?
日々の対話のなかで、ふとそんな疑問が胸をよぎることがあります。意図したことがうまく伝わらず、逆に誤解を生んでしまうこともある。あるいは、言葉にならない感情が胸に留まったまま、誰にも共有されないままに過ぎていく。そんなすれ違いや孤独感は、もしかすると、わたしたちの「表現の解像度」と「想像力」のズレから来ているのかもしれません。
今回は、フランス生まれの名作ボードゲーム『ディクシット(Dixit)』を通して、人と人のあいだにある“言葉の揺らぎ”や“想像の飛距離”に注目してみます。プレイヤー同士が曖昧な絵に物語を重ね、その裏にある心情を読み解き合うこのゲームは、単なる娯楽を超えて、AI時代における「共感」や「表現」の本質を探る鏡でもあります。
表現とは“伝えたい”と“伝わる”のあいだにある
意図の解釈は一つじゃない
ディクシットの基本ルールはシンプルです。一人の語り手(語り手プレイヤー)が、手札の絵カードの中から1枚を選び、それにまつわる「一言のヒント」を語ります。そして他のプレイヤーたちは、それぞれの手札から、そのヒントに合いそうなカードを出し、語り手のカードがどれかを推理します。
ここで面白いのは、「わかりやす過ぎても、わかりにく過ぎてもダメ」という点です。全員が正解しても、誰も正解しなくても語り手に点は入りません。ちょうどよく“何人か”にだけ伝わることが理想なのです。
このルールが示しているのは、日常のコミュニケーションと同じ「伝達の曖昧さ」です。相手によって、言葉の解釈も、想像する背景も異なります。伝えたつもり、わかったつもり…そんな勘違いが、私たちの対話を形作っているのです。
【ボードゲーム】ディクシット ルール説明動画 Dixit
“わかってもらえる”喜びとリスク
うまく伝わった時の喜びはひとしおです。自分が選んだ言葉や絵に、誰かが「そうそう!」と反応してくれる。これは、ただのポイント獲得ではなく、心が触れ合った感覚をもたらします。
しかし、伝えたことで“意図が読まれ過ぎる”と、点は入らない。つまり「伝えすぎてもダメ」という、現代的なメタファーがそこにはあります。SNSや職場でも「空気を読む」「誤解されないようにする」ことに疲れてしまう場面がありますが、このゲームでは“ちょうどよい曖昧さ”が、最も美しく機能するのです。
感性と言葉のズレが生む気づき
ディクシットの絵柄はとても抽象的で幻想的です。解釈の余地が広く、それだけにプレイヤーの感性や経験が強く反映されます。ある人には“希望”に見える絵が、別の人には“別れ”を示すかもしれない。そこには、価値観や文化、心理状態までもが投影されるのです。
だからこそ、同じカードを見て「まったく違う言葉」が出てくる現象は、驚きとともに深い学びを与えてくれます。言葉の選び方、受け取り方の違いを体感することで、自分の“想像力の癖”に気づくきっかけになるのです。
想像をつなぐことで生まれる“共感の回路”
家庭・職場・教育現場での応用可能性
ディクシットは、単に言葉とイメージを扱うだけでなく、「他者の視点を想像する訓練」をさせてくれるゲームです。この力は、家庭内での親子のすれ違い、職場での連携不足、教育現場での対話力不足など、あらゆる人間関係の土台になるものです。
たとえば親子でプレイした場合、普段は口数の少ない子どもが、自分なりの言葉で絵を説明し、それに対して親が「そう感じていたのか」と気づく場面もあります。職場では、チームビルディングのアイスブレイクとして使うことで、共感力や言語感覚を共有する“文化”を育てることもできます。
このように、ゲームを媒介として互いの感性を「翻訳し合う」場を持つことで、関係性の空気が変わるのです。
「共感力」と「翻訳力」は社会的知性の基礎
AI時代においては、単純な情報処理能力よりも、“文脈を読む力”や“行間を感じ取る力”が重要になってきています。ディクシットで養われる「表現の解像度」や「共感の飛距離」は、まさにそうした社会的知性の根幹です。
一見、絵と言葉のやりとりにすぎないようでいて、「どんな言葉なら、この人に届くのか?」「どんな見方なら、誤解されずに伝わるか?」という問いを何度も繰り返すことで、自分の“内面の翻訳機能”が鍛えられていきます。
これは、マーケティングやプレゼン、教育や医療など、あらゆる場面で応用が効く力です。言葉の選び方一つで、相手の受け取り方がまるで変わる――そんな現実を、遊びのなかで実感できるのは大きな意義です。
AIとの“創造的対話”にも通じるスキル
さらに言えば、ディクシットの構造は、AIとの対話にも似ています。人間が言葉で意図を伝え、AIがそれをもとに画像を生成したり、逆にAIが出力した画像から人間が意味を読み取ったりする。そこには、常に「解釈」の余地があり、翻訳と想像を伴うキャッチボールが発生します。
ディクシットを通じて私たちが学ぶのは、「正解のない世界」で相手と意味を共有する術。これこそ、AI時代の新しいリテラシーではないでしょうか。AIも人も、完全に理解し合うことはできない。それでも、お互いの想像力を信じて橋をかける――その姿勢が、未来の共創の原点になります。
言葉にできない気持ちを“遊び”で伝える
感情表現のための“安全な場”
ディクシットは、正解を競うゲームではありません。むしろ“曖昧さ”や“ズレ”こそが魅力となる珍しいゲームです。この性質が、心理的安全性のある対話の場を生み出します。
たとえば、口下手な人や自己表現に自信のない人でも、「この絵を“孤独”と名づけた」と言えば、それは一つの立派なメッセージになります。そして、それを他の人がどう受け取るかによって、自分が見えていなかった内面に気づくこともあります。
こうした遊びの中での表現体験は、単なるエンタメを超えた“癒し”や“自己理解”のきっかけになるのです。
「話しにくい気持ち」は比喩で伝えよう
私たちは時に、直接的な言葉ではなく、メタファーやたとえ話を使って本音を伝えようとします。「まるで迷子になった子どものような気持ち」と言うとき、それは自分の感情に優しい距離を置く方法でもあるのです。
ディクシットの世界は、まさにその比喩的対話の練習場です。カードの絵を通じて、プレイヤーは「これは悲しみだと思う」「これは旅立ちに見える」と、自分の世界観や経験を重ねて話します。
そのたびに、私たちは“言葉にできなかった気持ち”が、静かに形を持ち始めるのを感じるのです。
結び|あなたは、どんな絵にどんな物語を語りますか?
“伝えること”は、誰かに自分の心をそっと差し出すこと。
そして“受け取ること”は、その心を想像のなかで丁寧に包み込むこと。
ディクシットは、そんな静かで繊細なやりとりを、笑いと驚きのなかで体験させてくれます。日常でなかなか見えづらい「感性のあいだ」に、少し立ち止まってみたい方へ。
そして、AI時代の対話の本質に、一歩踏み込んでみたい方へ。
想像と言葉のあいだに揺れるこの“空白”こそが、最も人間らしい美しさを育てる余白なのだと、気づかせてくれることでしょう。