「1〜100までの数字を、言葉で表現してください」──
この、極めてシンプルなルールが、深い心理的駆け引きを生む。そんなゲームが『ITO(アイトー)』です。
このゲームに勝ち筋はありません。正解もなければ、論理的正当化もできない。あるのはただ、「自分の表現が、他人にどう伝わるか」という“共感力”と“ズレ感覚”だけです。
誰かにとっての「やや高め」が、あなたにとっては「中くらい」に見えるかもしれない。
この“ズレ”の微妙なグラデーションこそ、現代の人間関係の縮図といえるでしょう。
そしてこのズレを、遊びながら体験できるのがITOなのです。
ITOで浮かび上がる“言葉の揺らぎ”
数字を言葉で“あいまいに”伝える力
ITOでは、プレイヤーに1〜100の数字がランダムに配られます。その数字を、絶対に数値で言わず、テーマに沿った言葉で“なんとなく”伝えるのがルール。
たとえば「動物の強さ」というテーマで、あなたが“32”を引いたなら──「カピバラ」くらいが適切でしょうか?
もし“82”なら「ライオン」かもしれません。
このとき、あなたの中では「カピバラ=32」のつもりでも、他のプレイヤーにとっては「それ、70くらいでは?」と解釈されることもあります。
まさにここに、他人の価値観を読む力、そして自分の尺度の相対化が問われるのです。
現実社会でも同様です。自分の「大したことない」は、相手にとって「ものすごく重大」かもしれない。
ITOは、私たちがどれだけ“自分の物差し”に閉じこもっているか、そしてどれだけ他人と世界の見え方が異なるかを、遊びの中で教えてくれます。
1分でルール解説『ito』
“ずれている”からこそ会話は生まれる
興味深いのは、ITOが「正確に当てること」よりも、「ズレを含んだまま協力すること」を楽しむゲームだという点です。
「わかる気がするけど…ちょっと違うかも」「その表現、天才だけど微妙に違う」──そんな違和感が、コミュニケーションの中に色を加える。
実際の会話でも、100%の共感はむしろ不気味で、5〜10%のズレこそが関係性を豊かにします。
ITOでは、その“ズレ感覚”がゲームとして見える化されており、自分がどこに共感し、どこに違和感を覚えるのかを、体験的に理解できます。
ズレを“恐れず”共に進む感覚
組織における“共感設計”のヒント
ITOのゲーム性は、組織における共感設計にも応用できます。
例えば、プロジェクト会議の場で「この案は強め」と言ったとき、その“強め”がどの程度のニュアンスなのか、明確に定義できることは稀です。
ITOでは「あなたの“言葉”が、他者にどう受け取られるか」が、ゲームの結果に直結します。
これは、組織内の意思疎通やマネジメントにおいても、極めて重要な示唆を与えます。
リーダーシップとは、「自分の言葉」が“どう受け取られるか”を前提に調整する技術でもあります。
また、チームの中にある“価値観の濃淡”や“表現のブレ”を読み取り、あえて“ズレを含んだまま進める”判断力も求められる時代です。
ITOのプレイを通じて、我々は“完全な共通理解”という幻想を手放すことで、むしろ軽やかに協力できる感覚を養うことができるのです。
“共感の精度”よりも、“ズレを愛せる力”
重要なのは、他人の価値観を完全に読み切ることではありません。
ITOの面白さは、「あの人が“まあまあ強い”って言ってたけど、私はそう思わないな」と感じたときにこそ、最も輝きます。
この“ズレ”を「正す」のでなく、「味わう」こと。
そこにこそ、多様性や創造性が生まれます。
現実の人間関係でも同じです。
他人の価値観が自分と違うからといって、無理に合わせたり、説得しようとしたりする必要はない。
むしろ、違うことを前提にしながらも協力するという“関係性の技術”こそが、これからの時代に必要なのです。
ITOは、その技術を笑いながら、自然に体験できる稀有なツールなのです。
日常に“ITO的感覚”を持ち帰る
このゲームを一度でも体験した人は、日常の何気ない会話の中で「あ、今ITOっぽいズレがあった」と感じるようになります。
・上司の「早めにお願い」がどれくらい早めなのか
・友人の「まあまあ高い店」が自分にとってどの価格帯なのか
・恋人の「ちょっと怒ってる」がどれくらい深刻なのか
そんな“日常のあいまいさ”に、少し笑える余裕と、優しいツッコミが持てるようになる。
それが、ITO的な共感とズレのセンスです。
言葉は道具であり、解釈は人それぞれ。
そのズレに悩むのではなく、ズレを前提に遊び心でつながる。
それが、コミュニケーションの未来を軽やかにする鍵かもしれません。