成果を超えて楽しむ力|“遊び”が人間を進化させる理由

成果ではなく“喜び”を目的とする思考へ

仕事にも遊びの感覚を持ち込むということ

多くの人にとって、「遊び」と「仕事」はまるで正反対のものに感じられるかもしれません。遊びは自由で報酬がなく、仕事は義務で評価が伴うもの。しかし近年、仕事に“遊びの感覚”を取り入れることの重要性が強く語られるようになりました。なぜなら、遊びには人を自然に没入させ、学びや創造性を引き出す力があるからです。

たとえば、プロジェクトにゲーム的な要素を加えるだけでも、参加者の主体性や工夫する姿勢が引き出されることがあります。成果至上主義のマネジメントでは得られなかった信頼や共感が、「楽しい」「試したい」という感覚から育まれるのです。これは、“内発的動機”の活用と呼ばれ、現代の組織づくりにも通じるアプローチです。

ボードゲームに見る「目的を超えた関わり」の価値

たとえば『アズール』のような美的判断と戦略が融合したボードゲームでは、勝利を目指す一方で、色や形の組み合わせを楽しむという“純粋な快感”が存在します。これは、目的があるのに、同時に「それを超えた何か」が人を引きつけるという不思議な体験です。

実はこうした感覚が、AI時代を生きる私たちにとって極めて重要になってきています。データやアルゴリズムによる最適解だけでは語れない、人間ならではの「意味のなさに宿る意味」。これを大切にすることが、創造的思考や人間関係の中での温度感、そして感性を取り戻す鍵になるのです。


共創と余白が生まれる“遊びの場”とは

正解を問わない空間にこそ創造は宿る

現代の教育やビジネスでは、「正解に早くたどり着くこと」が重視されがちですが、遊びはまったく逆の価値観を示してくれます。たとえば『ミクロマクロ:クライムシティ』のような観察型推理ゲームでは、ルールに従いながらも、プレイヤー同士の気づきや解釈が交差することで、一つのストーリーが生まれていきます。

このような「正解を問わない協働の場」こそ、AIでは再現しづらい人間の創造性の源泉です。効率化ではなく、“面白がる”という感覚の中に、誰も予想しなかった視点や発見が生まれる。それが、遊びを通じた共創の本質です。

「遊び心」が人と人をつなぐ潤滑油になる

遊びの中では、肩書きや役割から一歩離れた“素の自分”が出てきやすくなります。これは心理的安全性の確保に非常に有効です。たとえば、『たった今考えたプロポーズの言葉を君に捧ぐよ。』のようなゲームでは、笑いと失敗が共有され、それによって場の緊張が解け、親密さが生まれていきます。

こうした遊びの場では、正しさや効率を超えて、「共にいることの心地よさ」「話が通じ合うという奇跡」に気づくことがあります。結果として、創造的な議論やチャレンジングな対話が生まれやすくなるのです。


“遊ぶ力”が未来をひらく

成果のためでなく、生きる喜びのために

「何のためにやるのか?」という問いに、つい私たちは「役に立つから」「儲かるから」といった合理的な答えを求めがちです。しかし、遊びは「面白いから」「やってみたいから」で成立します。そこには、人間が本来持っている“意味の前にある衝動”が息づいています。

この“遊ぶ力”こそが、予測不能な時代を生き抜くための本質的なレジリエンスなのです。遊びの中には、偶然への開かれ、他者との関わり、状況への適応といった、生きる力の種がすべて埋め込まれています。

明日、ひとつ“意味のないこと”をしてみよう

仕事や日常に追われていると、「意味のある行動」ばかりが優先されます。けれど、あえて“意味のないこと”を選んでみる。無駄のように見えることを、大切にしてみる。そんな些細な行動が、自分自身に余白を与え、創造性や感情を育てる第一歩になります。

たとえば、家族や仲間とボードゲームを囲む時間。勝敗にこだわらず、笑ったり驚いたりする時間。それはきっと、数字や評価では測れない「心の余白」と「人間らしさ」を育てる、小さな革命となるはずです。

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